安全へのこだわり




安全へのこだわり

他とは違う!当茶園の徹底した安全安心のお茶づくり

私は、農薬と化学肥料・殺虫剤によって、死の寸前までおいこまれてしまいました。
今こうして笑顔でいられるのも、化学農薬や化学肥料等の散布を止めたからに他なりません。
化学農薬や化学肥料に頼らなくても、自然に作物は育ちます。
昔はそうだったのではないでしょうか?
もっと多くの人たちへ自然の力のすばらしさを伝えていきたいと思います。

熊本県球磨郡錦町出身、日本茶生産家の長男として生まれる。
昭和53年より化学農薬・化学肥料を用いないお茶の生産を開始。昭和60年農林水産大臣賞受賞。平成19年には有機JAS認証取得(認定番号0707-A04)し、現在、地元の若い人材10数名に化学農薬・化学肥料を用いないお茶の生産方法を指導している。



生産地 熊本県球磨郡錦町
都会の喧騒などはまったくいない山奥でお茶は生産されています。製造も同所で行っているため、生産・製造一貫して空気も水も綺麗な場所で
行われています。
「霧の里」としても有名で、朝と夜の寒暖の差が大変美味しいお茶の生産を助けてくれます。
この茶畑ではお茶・土・虫・水など自然にあるものが自然に一つの共同体を作っています。
そのため、害虫を駆除するために、殺虫剤を使用するのではなく、益虫 (カマキリ・クモ・てんとう虫など)の力を借りて駆除しています。
土に関しても、土を肥沃なものにするため、様々な有益なバクテリアの力を借りています。良い土にはミネラルも豊富で、春先には、うりぼう(猪の子供)や小鹿が土を食べにやってくるほどです。

「自然にあるものを自然に利用させていただく」

生産は自然に任せ、加工は人の手を丹精に込め、お茶cha本舗の商品は作られています。

当農園風景
360度を700m級の山々で囲まれた人吉盆地内にできた丘陵地に(高台)に位置する当農園。標高は230mあり、外部からの飛散農薬や有害物質を遮断してくれる。
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当茶園が他とは違うその理由

一般的な茶園のお茶の樹齢は10年余り、
当茶園の茶の樹齢は60年以上

一般的な茶園では、茶樹は10数年しか活躍することができません。
しかし茶樹自体は、もともと数百年生きる「力」があるのです。

なぜ一般的な茶園が10数年しか活躍することが出来ないのでしょうか。


1.「化学肥料」や「農薬」

それは1つ目に、農薬や化学肥料によって茶樹自体の免疫力等が落ちてしまい、病気や虫などへの抵抗力が阻害されることにあります。
お茶は、その免疫力や抗酸化力の高さなどから「虫も食わない」と言われるくらい、虫が付きにくい樹木なのですが、いつの間にか、その免疫力や抗酸化力が農薬や化学肥料の過剰摂取により、低下してきたと考えられています。

昭和60年に農林水産大臣賞受賞経験をもつ茶園※写真は「やぶきた茶」
日本の在来品種からの選抜品種であるやぶきた茶をはじめ、相良村四浦地区にて、長い年月をかけて自然交配を繰り返して生き続けている在来品種ヤマチャを生産している。
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2.過度な「人工的品種改良」

2つ目に、味や色を重視するあまり、過度な人工的品種改良を行ってしまったため。
自然に作られる品種であれば、自然に生きる力があります。現在、国内で栽培されているお茶の90%以上を占めると言われている「やぶきた」は、もともと「選抜型品種」と言われており、在来品種(※日本国内で自然交配により独自の種の保存を長い年月をかけて行ってきた品種)の中から、味や色、耐寒性や耐病性の高い品種を選抜して品種として確立されてきました(やぶきたのほかに、「たまみどり」などの品種も選抜型)。
そのやぶきたでさえも、今では農薬や化学肥料なしでは、高品質なお茶の生産は難しいと言われています。
また、日本に古くから存在している「ヤマチャ※在来品種」が、自然交配により独自の種の保存を継続してきたのに対して、現在高級品種としてその地位を確立している「べにふうき」などの品種は「人工交配型」のものです。

べにふうきの前身品種は「べにほまれ」と言われる品種で、もともと紅茶で有名なインドのアッサムから1880年代後半に、日本国内に持ち込まれました。そしてその「インド紅茶品種」から、日本国内の環境に合う品種を選抜して広がった、言うなれば「インド茶(外来)」です。しかしながら、べにほまれは、日本紅茶を世界へ広げるために選抜された、現在では幻の紅茶品種と言われています。
そのべにほまれ(種子親)に「枕Cd86(花粉親)」という、ダージリン系の品種(これも外来です)を人工授粉させて作られたのが、今注目されている「べにふうき」と言われる品種です。
べにふうき、べにほまれのほかに、べにふじなどの品種も、やはり外来品種と言えます。
当茶園では、日本の在来品種である「ヤマチャ」を中心に、その在来品種からの選抜型品種である「やぶきた」「たまみどり」を栽培しています。
紅茶や半発酵茶向きのインドからの外来品種であるべにふうきなどの品種には、その品種の良さが当然ありますが、当茶園では、あくまでも「純和(日本)産」を頑なに貫き、その古き良き日本の在来品種が本来持つ、香りや味・色だけでなく、もともと日本茶が持っている「生きる力」を大切にしたいと考えております。



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3.「大型機械」の導入

3つ目に、効率を重視するあまりに導入された「大型の機械」の存在です。この大型機械は、巨大なキャタピラで、茶園の中を走ります。本来であれば、豊穣な土壌でなければならない土壌が、そのキャタピラで踏み固められるため、茶の根は思うように大きくなれず、また土の奥深くまで根を延ばすことが出来ません。そのため、養分を吸収することが出来ず、結果的に短命で終わるのです。
短命で終わるというのは、お茶の木自体の生命力が落ちることにも起因しますが、それ以外に、茶の流通(販売)において、約15年を過ぎると「品質が落ちる」と一般的に認識されているため、品質が落ちているかどうかの真偽は別として、「茶樹の入れ替え」がなされてしまいます。
本当は大型機械や農薬・化学肥料の使用を控えれば、実はまだまだ生きることができるのでしょうが・・・。
ちなみに、大型機械の導入をすることによって、大量生産及び農業従事者の減少に対応でき、労働力にかかる人件費を大幅に削減でき、利益も向上されるとされていますが、実はまったく逆です。
この大型機械の1台当たりの平均的価格は、約500万円から1000万円です。茶農家1件当たり、この大型機械が2台から3台ありますので、各農家は安くても1000万円前後の負債を抱えていることになります。
加えて、大量生産に対応するために導入された大型機械ですが、今まさにその大量生産方法が自らの首を絞める結果につながっています。
簡単な市場原理です。
「大量に生産されるようになれば、自ずとお茶のkg単価は下がる」
2014年の当茶園周辺の大型機械導入&農薬・化学肥料をたくさん使う農園で生産された新茶価格ですが、初摘みで一番価格を付けた新茶で「4000円/kg」でした。平均は2000円前後で、その翌日には、1500円/kgに落ち込み、1週間経たないうちになんと500円/kgまで下がってしまいました。

大型の機械を使用して、拡大そして大量生産をすればするほど、市場価格は激減してしまい、容易に予想できることですが、同じ品質なら、海外のもっと安いお茶を市場では受け入れることになります。
そうなれば、日本国内で普通に栽培しているお茶農家の方は、これ以上お茶を生産できなくなるでしょう。
もしできるとしたら、「もっと効率を良くして、大量生産をし、価格がいくら安くなっても対応できる生産方法をし続ける」ことです。
当茶園では、当然大型機械を使用しません。「可搬式茶摘機」と言われる、重さも10㎏前後の小型の機械を使用しています。
茶園の中を歩く際にも、土を踏み固めないように、たいへん注意深く歩くことを徹底しています。その土壌はふわふわで、農園を訪れるお客様は「絨毯の上を歩いているようだ」とよく仰います。


 
あくまでも生産(生育)は自然に任せること。
そのために「少しだけ」手を貸すだけです。

土壌PH値
お茶は、PH4~5(酸性土壌)が生育上もっとも適しているPHだと言われているが、当農園は、PH6.7(ほぼ中性)の土壌となっている(2014年5月現在アナログ計測器)。
 
土壌水分量
土壌水分量(率)は、約40%弱。この日は晴天で、土壌表面から約5㎝の地中で直接計測した。大型機械導入を導入し、また農薬や化学肥料で汚染された茶農園を計測したが、完全に「DRY(乾燥)」だった。土壌の水分保持は、農園維持の上で必要不可欠な要素。

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在来種(固定種)での実生栽培

通常、お茶葉は苗から成長させます。
しかし、当茶園では実生、つまり「種」から栽培。しかも種はF1と呼ばれる交配種ではなく、在来種(固定種)または、在来種からの選抜型品種を栽培しています。

実生栽培の場合、刈り取りまでに約15年もの歳月がかかります。通常の苗からであれば3年程度で刈り取りが可能になることを考えれば、いかに時間と手間がかかっているのかがお分かりだと思います。
それでなくても15年。この決断は並大抵のものではありませんでした。


海外からの視察風景
海外からも「リアルジャパニーズフード(本物の日本食)」を求めて、多くの企業さんが視察に訪れている。(※写真は、gruenertee.de(ドイツ)のシュワイカート氏と)関連URL:http://gruenertee.de
完全無農薬と無化学肥料栽培

在来種の種を植えたのが69年前。完全無農薬&無化学肥料栽培にして38年が経過しました。(2015年現在)
その間、農薬・化学肥料をはじめ、除草剤・殺虫剤さえも使いませんでした。手間のかかる栽培管理ですが、草もたくさん生えているため、よく「お茶園やっているの?」と聞かれることも多々あります。日本の現在の多くのお茶園の形を、当社では「角刈り」と呼んでいます。角刈り茶園の特徴は「ピシッとカクッと」した形であるということです。当茶園の茶樹の形は「円(丸)」で表現したほうが正しいでしょう。昔ながらの農園の形を維持しているのが当茶園です。今では、海外の企業さんとの取引が国内の企業さんとの取引を上回り、当茶園の「真の無農薬・無化学肥料栽培」「より自然な茶栽培」が、ありがたいことに海外で評価されております。有機JASも、平成17年に取得しておりましたが、有機JASの継続には、結構な資金がかかり、また国内においての認知度及び評価が、価格に大きく転嫁されることもないため、平成25年度には一度認定をやめてしまいました(※正確には、更新料不払いが原因で、有機JAS認証取り消しとなりました。みなさんが考えるより結構高いお金がかかります。海外取引企業さんからは、「日本のオーガニック認証における、高額な取得費用及び更新費用が、オーガニック農産物や加工品が増えない理由かもしれませんね」とも言われました。ちなみに、例えば、ドイツのオーガニック農産物の全農産物に占める割合は、約12%です。それに比べて日本のそれは0.2%程度です)。しかし、海外との取引が増えるにつれ、特にヨーロッパなどのオーガニック先進国では、しっかりとした認証が無くてはオーガニック(有機農産物及び有機加工品)としては評価されません。そのため、翌年の平成26年に、再度有機JAS認定「認定番号:SEZ-26030551」を取得いたしました。



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動物性素材を使わない独自で作った自家製の有機肥料

当茶園で使用する有機肥料の原材料には、ケミカルなものは当然使用しませんし、動物性素材(牛・豚・鶏の糞)も原料に使用しません。動物性原料には見えないキャリーオーバー成分(化学飼料による残留)が含まれているのがその大きな理由です。
遺伝子組み換えを行っていない大豆で出来たおからや黒糖などに、いりこや海藻類を主原料として利用。 これを「数種類のバクテリア」により分解させます。
(原材料は、すべて「熊本産」にて完結しております。原材料に関しても、その生産現場を確認して仕入れをするよう徹底しており、特に2011年3月11日の起こった震災の影響からの放射能汚染に関しましても、その原材料に使用する素材が汚染されていないかどうかも徹底してそのトレーサビリティを確定させています)
この数種類のバクテリアは、持ちつ持たれつ(共存)の関係にあるため、ひとつでも動かなくなると、他の数種類のバクテリアも死滅(腐る)してしまいます。
そうなると肥料としてはまったく意義を持ちません。その為、肥料の維持・管理には最大限の注意を払っています。

肥料を作るのに要する期間は「約半年」。分解中の土の温度は約70度。 バクテリアの活動によりこの温度まで高まります。この肥料でお茶に「ちょっとだけ」手助けしてあげるのです。

今では、このバクテリア自身が茶園で増殖。ほとんど追肥(施肥)することはありません。土自身が成長を始めたのです。これも自然のなせる業です。

キャリーオーバーの懸念から動物性(牛・豚・鶏)原材料を
排除した独自の有機肥料

当農園では、独自の有機肥料を使用しているが、その原材料はすべて「熊本県内」に限定している。見えないキャリーオーバー成分(農薬・化学肥料・放射性物質など)排除には、資材関係への配慮も不可欠な要素。


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当茶園の周囲は700m以上の山々に囲まれている茶園ですが、北西の風に乗ってくる飛散農薬から茶園を守るため、茶園の周囲は「防風林」で保護されています。

周囲の茶園などで使用される農薬や化学肥料など。茶園を守るためには周囲背丈約3m以上の防風林を、茶園の一部の敷地を犠牲にして自然育成。
この北西の風に乗ってくる飛散農薬を最大限防いでいます。
この取り組みをはじめ、すでに30年経過しており、これらの防風林のおかげで残留農薬を排除。今ではこれらの農薬が検出されることはありません。(試験成績証明書あり)


茶園で生命を創るツユクサそしてクモ
茶園は、雑草そしてクモ・カナブン・カマキリなども生命を創る場になっている。
茶摘みの時期のみ、人の手だけで雑草を取り払い、できるだけ自然の環境の中でお茶の生育を維持させる取り組みを行っている(ただ、本当に草取りは大変な作業です)。



茶園に大型の機械を導入しない

「大型の機械」はお茶を育てるにあたって、労力的な面で非常に役に立ちます。お茶を育てるには多大な労力と時間がかかりますが、それらを補ってくれるのです。しかし、当茶園では使っていません。
それは、これらの機械があまりに重いこと。「大型の機械」のキャタピラは土を踏み固め、茶の根の育成を阻みます。茶の根が大きくなれず、また、土の奥深くまで値を伸ばすことができない。これはお茶が養分の吸収ができないことを意味し、一本一本のお茶が短命に終わってしまうのです。

当茶園は労働力とお茶の命を天秤にかけた結果、お茶の命を選んだのです。



茶園通路土壌
乗用機械(キャタピラ)を使用せず、可搬式(小型機械)を使用し、土壌に負荷をかけない取り組みを行っている。
また、当然除草剤も殺虫剤も使用しないため、写真のような土壌(草)を形成している。

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当茶園の歴史的背景

化学的なものを絶対に使わない。
その決意とともに歩んだ当茶園の歴史
初代茶匠 藤迫綱雄

初代茶匠の藤迫綱雄は、終戦後まもない1946年、熊本県の南西部に位置する球磨郡相良村にてお茶園を開始しました。

霧の里としても有名なこの土地は、四方を700メートル以上の山々に囲まれた、昼と夜の温度差が極めて高い盆地で、お茶の生産には大変適した土地です。その際、日本に古来より生き続けている「在来種」の「種」を100俵貰い受け、70戸の家族で実生栽培(種から栽培する方法)することでスタートしました。
しかし実生栽培までこぎ着けた家族は30戸。お茶の芽が出て、商品化出来るかどうかというところまで頑張った農家が3戸。 実に96%が途中で断念しました。実生栽培は本当に難しく、芽が出るかどうかも問題ですが、大きく成長し茶摘みが出来る状態にするのになんと「15年」かかります。





ようするに、15年間は商品化できない、それどころか、お茶園の維持の為に多額のお金を必要とするということです。
初代茶匠の綱雄は、存続の為に、東北へ土木関係で出稼ぎに10年以上行き続けました。
現在、日本国内において、実生栽培を行っている茶農家は皆無です。

実勢栽培は育ちも遅く、商品化まで長期間が必要。そうなると商品化までの収入がないという厳しい現実があります。



引き継がれるポリシーと技術

1946年にスタートした当茶園ですが、1976年に2代目茶匠である藤迫健一に引き継がれました。

1945年に日本は敗戦し、何事も(政治・経済すべてにおいて)アメリカの政策によってなされていました。

そのひとつが、農薬と化学肥料による大量生産・大量消費政策です。農薬や化学肥料の被害は、当時アメリカ国内にとって深刻な問題でした。アメ リカ国内で多く使用させることは、世論を敵に回すことになってしまうため、国内使用はなるべく少なくしなければなりません。

しかし、農薬販売会社・医薬品販売会社などの化学合成剤販売会社であるケミカルメジャーにとって、売上を大きく落としてしまうことは死活問題となります。 そこで目をつけられたのが、敗戦国である「ジャパン」です。

自国での販売は無理だが、敗戦国である日本へ使用させれば良い。この現象は今もなお続いています。
当茶園も例外ではありませんでした。

ある組織による茶の買取があるのですが、すべては「いいなり」です。農薬や化学肥料を買わなければ、買取してもらえないし、融資も受けることも出来ませんでした。2代目の健一は、その状況に「否」を唱えます。

「農薬や化学肥料は身体に悪い。しかも環境も破壊する。売上があがるからといって、そんなものを撒いてよいのか?」 と農薬や化学肥料に対して疑問を持っている途中に、健一自身が農薬被害に合い、死の寸前まで追い込まれてしまいました。1977年(昭和52年)のことです。

そこで健一はついに決意します。

ケミカルなもの(農薬・化学肥料)
を絶対に使わない!

1978年、最初の一歩がスタートしました。
農薬と化学肥料を止めたとたん、病気が蔓延。収穫量も極端に落ち、それよりまして茶の味が悪く、買取りもタダ同然でした。
それでも農薬や化学肥料は使わない!そう強く心に決めたのです。

周りからは
「健ちゃんは馬鹿だなぁ・・・もっと利口に生きられないかなぁ・・・」
「硝酸態窒素使わないって・・・それじゃぁお茶育たないし。ほんと馬鹿だよ」


などと揶揄され、ほとんど変人扱いでした。

まずは土を電気分解させ、残存する農薬や化学肥料成分を取り除くことから始めました。一刻も早く自然の状態に農園を戻したかったのです。
約8町ある農園の電気分解にかかった費用は約2億円。どうにかこうにか資金を調達しました。



しかし、まだお茶の製造が出来るわけではありません。その後、約7年、お茶園を「放置」したのです。草は生え放題。 虫は跋扈する。 お茶は生育しない。


周りからも言われます。


「藤迫さんの茶園は、草も生え放題でなぁんもしとらん。気でも狂ったか、もうお茶の生産はしないことにしたのか」


そういうことを周りから言われても動ぜず、耐えて堪えて・・・・。
やっと商品化が出来たのは、8年目の茶のシーズンでした。


「おぉ、やっと戻ってきたか!」

そうです、やっと少しずつですが、お茶の生育状況が好転してきたのです。




工場内の製茶機械
約50年以上も前に導入した製茶機械を今もなお使用している。
「機械が、まだまだ活躍できると言っている」
日本人の心。人に対しても物に対しても、そして自然に対しても大切に対峙することが必要。



お茶の花
白い花びらに、黄色い雄しべが特徴。お茶の木は、自らの種の保存継続を行うため、他の土地から飛来してくる花粉と受粉することにより、より環境にあった種として、古代から生き続けた。10月~11月にかけて「茶実(ちゃじつ)」を実らせる。


お茶本来の力で育てる。
お茶は、お茶に任せる!

健一はこう感じ取りました。
要は、お茶の生育は、すべて自然の力に任せるということです。

農薬や化学肥料に頼る必要は元々無いのです。
ただ、自然に還っただけのこと。

そして、その生産方法で生育させたお茶は、1986年、農林水産大臣賞を取得するまでに品質が高くなっていました。

残留農薬検出試験、
すべての項目で「検出せず」。

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ここまでなるのにかかった年数は、実勢栽培を開始した1946年から実に60年近くかかりました。

巷には、休耕5年で「無農薬」をうたう商材が数多ありますが、当茶園は歴史が違います。

そして、このお茶園は、四方を大きな山々に囲まれ、周囲からの飛散毒物から守ってくれる環境にあり、また、北西から流れる風が、南東に位置する桜島や霧島からの火山灰を寄せ付けません。 日本国内でも、ここまで守られた茶園環境は皆無でしょう。

1946年より、実生栽培によりスタートした当茶園ですが、種を植えて69年(2015年現在)経過しました。

その種は、古来の遺伝子を引き継いできた、品種改良など行われていない希少な種です。

栄西が中国から茶の種と製造方法を持ち込んで普及していったのが、日本茶の始まりであると言われていますが、当茶園が位置する熊本県相良村四浦(ようら)地区は、日本での有数の古来茶(ヤマチャ)が自生していた土地だと言われています。
実は、栄西が持ち込んだのは、「中国式の茶製造方法(青柳製)」だということが、最近になってわかってきました。
栄西が記録した喫茶養生記には、栄西自身が普及させたように記載してあり、それを現代ではそのまま踏襲して理解されています。
しかし、冷静に「本当に日本には、栄西が持ち込むまでお茶の木はなかったのか?」と考えてみてください。
実は、相良村がある球磨郡の歴史書「球磨郡史」には、以下のような記載があります。

「・・・・しかし、それより約500年も前の聖武天皇の時代(西暦701年~756年)より、日本では「薬用」としてすでにお茶が存在していた」という記述も存在しており、冷静に鑑みた場合、「日本には古来よりお茶が存在していた」という蓋然性は高いと考えられます。
【球磨郡史上巻P245】

聖武天皇の時代とは、栄西が活躍する時代のおよそ500年以上も前です。
その時代の記述に、すでにお茶が出てくるということは、多分、日本全国の山という山(特に東京以西)には、ヤマチャが自生していたと考えるほうがより自然です。

例えば、当茶園では「ヤマチャを使用した半発酵茶(烏龍茶)」を製造しております。しかも、2代目の健一が初めて製造開始したのは、今から少なくとも20年以上も前です。


無農薬の意思を引き継ぐ智と2代目健一

無農薬の意思を引き継ぐ智と2代目健一



しかし、ある農家の方が「日本で初めて私が烏龍茶を作り始めました」と言われて、現在ではよくオーガニックショップで販売されています。
「私が初めて」と言ってしまえばそれまでです。多分、栄西の喫茶養生記の記載もそれに近いものがあったのかもしれませんね。

当茶園の周りには、お茶以外にも「かきどおし」「ヨモギ」「ナルコユリ」などの、和漢方でよく使用されている植物も自然自生しています。

また、ゼンマイやワラビなどの山菜も多数分布しており、シーズンになると、皆でお茶園に行って、ゼンマイ・ワラビ・だらの芽などの山菜を取って、工場へ帰り天ぷらにしたりして食します。

また、新茶のシーズンだけの特別な食べ物としては、「新茶の天ぷら」があります。
これは、生茶をそのまま食するので、確実に「無農薬栽培茶の葉」である必要があるのは言うまでもありません。

お茶だけでなく、自然の姿そのままで生きている当茶園。

時期によっては、キジなどの野鳥、シカやウリボウなどにもお目にかかれますよ。



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